<< 2012年05月 >>
123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031

国の「いのち」/一人の「いのち」を超える「大いなるいのち」

2012/05/17 07:18

 

「いのちの風」より転載します。
この通信発信者は石黒大圓(だいえん)と謂われる方です。記事の内容から見ても真の愛国者であると信じます。何より保守に邁進した経緯が、大学でマルクス思想に洗脳された后に覚醒した小生と酷似しています。
 
大抵の人は「戦争はいけない。其の為に命の大切さを教えるのだ」と謂われます。正論です。但しそれは机上に書いた空論に過ぎません。憲法9条の思考方法と同一なのですね。「台風・地震を日本國は断固拒否する」と法制化すれば、災害は防ぐことが出来ますか?

命を護る為にはその大地である國が存在しなければ不可能です。而もその國は政治的・経済的・道徳的にも安定しなければ為りません。國を失う悲劇を我々はほんの70年前に体験しています。

小生のブログでも「奉天駅前惨殺事件」「尼港事件」「通化事件」「真岡郵便電信局事件と九人の乙女たち」「満州従軍看護婦実話」「小町園の悲劇」 等でお伝えしました。大東亜戦争敗戦当時にどれほど多くの邦人がソ連・支那・朝鮮・進駐軍の毒牙に掛かったのか。

歴史とは綺麗ごとでは在りません。歴史をするとは己を知る事です。小林秀雄先生は占部賢志先生に斯く謂われたそうです。

「君に在る記憶とは君自身なのだ。記憶が在るからこそ君は存在する。君を産んだお母さんにも同じように記憶が在る。そのお母さんの全ては君の身体の内を流れている。すると君がお母さんを大事にすることは、君自身を大事にする事に繋がる事だ」

「君の肩にはお母さんの全てが乗っているのだ。其れは千年前の事でも同じだ。君の肩には千年前の日本の歴史の重みが掛かっているのだ」

「君の身体には祖先の血が流れている。其れが歴史と謂うものだ。其の事を能く自覚して、生きて来た責任を果たさねば為らないのです」

小生は此の言葉を知った時に衝撃を受けました。四書五経や古典を読めば読むほどに我が国の歴史を知りたくなり、日本神話の世界に導かれ、そして我が国の国史を知りたくなりました。特に大東亜戦争に関する封印された歴史を知る事は責務の如く感じます。歴史を知りたくなるとは究極的に己を知る事に導かれたのですね。

小生は其処に天の啓示を感じます。

【国の「いのち」/一人の「いのち」を超える「大いなるいのち」】

【目に見えぬ 祖国の恵み 尊けれ】
 
大学時代の知人から最近メールが来ました。最近の私の通信がおかしいと。アメリカによる日本軍の捕虜や一般市民へ虐殺の話が続いたからでしょう。ご本人に了承の上で転載しました。
 
『石黒さん、この頃のあなたの通信、なんかおかしいよ。 あなたは何の目的でこの「いのちの風」を始めたの?「命の尊さ」じゃないの?この頃の通信はそこからひどく外れているように私には感じられるのだけど。戦争中の殺戮とか狂気はどこかの国に限ったことじゃない。 

戦争は人を狂わせるのよ。だからしたらいけないんじゃない!どこからこうした動画を入手するのか知らないけど、毎回毎回これでもか、これでもかという正視できないような残虐な動画(たとえ本物でも)をあなたの大切な通信「いのちの風」に載せるあなたの精神は大丈夫?気を悪くしたらごめん。でもなんか変よ!』

彼女からは「原発反対の1千万人署名への協力」のメールをいただいていましたので、私の意見を述べようと思っていました。それで返事のメールを出しました。それが以下です。

『「いのちの風」は確かに「いのちの尊さ」について自分の体験、野宿者支援などから学んだものを発信するつもりで立ち上げました。しかし左翼が否定する「日本の戦争」の別の側面を教えてくれた「もう一つの戦争展」において「エルトゥールル号遭難」のビデオを見て愛国の思いが再度燃え上がりました。

もう一つの戦争展
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E5%B1%95+&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt 
 
(この遭難とは、明治の頃、トルコ軍艦エルトゥールル号は日本へ表敬訪問に来て帰途の途中、暴風雨に会い紀州沖で沈没した。近くの漁民たちは生存者救助のために命をかけてくれた。このことをトルコでは100年間語り伝えてきて、100年後に恩返しの時を迎えた・・・・)
 
決して恩を忘れないトルコ【テヘランの日本人を救ったトルコ】
http://www.youtube.com/watch?v=0gjLlqFD8R0&feature=related
絵物語 エルトゥールル号の遭難
http://www.makuya.or.jp/teatime/douwa/ertug/ertugP1.htm 
慈愛のキャッチボール 
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/message001.htm

共産党が政権を取れば日本は良くなると思っていた左翼の私はアメリカへ行って祖国日本に目覚めました。しかし平成15年にこの戦争展に出会うまで、結婚、仕事、家族の死後の時期もノンポリでいました。
 
「私、あなた」の「いのちの尊さ」と同じように「国のいのちの尊さ」もバランスよくみるのが当たり前だと思い至りました。そして妻の死後2年目にオヤジ狩りにあって「目に見えない当たり前の恵み」にも目覚めました。 
 
横にいる妻子、自由に動ける手足、家があり、毎日仕事があり、食事が食べられ・・・失って初めて知る有難さを知りました。一瞬一瞬が恵みのなかで生かされている有難さを感じました。 そして一瞬一瞬、「国」の恵みのなかで生かされている有難さも感じました。
 
全共闘民主党の仙石氏や共産党など左翼は「国家とは暴力装置である」と思っています。 そうでしょうか。国も失って初めてその「尊さ」を知るのではないでしょうか。戦争に負けるということは国を失うことです。 祖国の言語、歴史、文化さえ否定される運命を甘んじて受けなくてはいかなかい。
 
日本にとっては国民統合、日本文化、伝統の象徴、である天皇陛下、皇室でさえ廃止される危険のあった敗戦でした。 それは戦争そのものより甚大な被害を日本にもたらします。そのような国難からはかろうじてのがれられました。 しかし堕落した自民党、そしてさらに革命政権である民主党によって、いま日本は存亡の危機にあります。 

異教徒を情け容赦なく殺戮する十字軍のような米軍によって日本人は殺されていきました。 これが白人相手ならこのような殺戮はなかったでしょう。 戦争に負けたらそのような被害を国民は受けるのです。 絶対に戦争に負けてはいけないのです。 
 
一度の敗戦を経験しただけで「日本は悪い国でした」と自国を否定するような国は世界中で日本だけです。 何度も敗戦、勝利と繰り返しても自国と自国の歴史への誇りを捨て去る国は世界のどこにもありません。

日本が戦争を始めたからそんなことになった、という洗脳が戦後されてきました。 しかし戦争の原因は日本だけでしょうか。 当時の国際情勢を無視してあの「大東亜戦争」は語れません。 米中ソの国益だけを守ろうとした東京リンチ裁判による洗脳によって日本国民は黙らされています。 そんなことを最近の通信では書きたかったのです。 

日本国憲法前文には「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とあります。 しかし今も中共、北朝鮮ロシアは日本に向けて数多くのミサイルを向けています。 平和を愛する?周辺諸国へ向かって「平和、平和」と空念仏を唱えていたら平和はくるのでしょうか。
 
私たちはおのれの小さな「いのち」だけを大事に見ていていいのでしょうか。 「生活第一」「国民の幸せ」だけがすべてでしょうか。 それを保障してくれる目に見えない存在「国家」の「いのち」にも目を向けないといけないのではないか、とも私は「いのちの風」で主張しているつもりのです。

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 時事通信

コメント(0)

東南アジア旅行記は如何ですか?

2012/05/16 02:27

 

「宮崎正弘の国際ニュース早読み」読者欄より東南アジア旅行記を転載します。實に面白い旅行記ですよ。

(読者の声2)5月2日~7日までバンコク-ホーチミン市-シンガポールと廻ってきました。

各都市とも大きな変化を感じましたが、それ以上に気になったのが人民元の動きです。各地の両替レートはバンコクで香港ドルよりも18%高、ホーチミン・シンガポールでは20%以上も高い。おおむね1香港ドルが10円に対し1人民元が13円弱といったところ。対ドルでの人民元下落のニュースを聞いていたのですが、アジア通貨に対してはまだまだ強いようです。

3都市の印象として、バンコクはアジア通貨危機の膿を出しきり再び成長へ。ホーチミン市は中産階層が育ちつつあるものの貧富の格差も拡大し、生活文化面ではアオザイ制服の廃止など、簡便化・合理化(タイ化といってもいいでしょう)が進行中。

1995年前後は中国の地方都市と大差ないレベルだったのに、その後の発展ぶりは中国が早すぎるのか、ベトナムが遅いのか。インフラ整備もそれなりに進んでいるものの、ベトナムから見ると、タイ(バンコク近郊限定)が先進国に見えるほどです。新幹線を導入するなど20年早い。

ベトナムはシナの周辺国として朝鮮と同じような立場でした。そのためかベトナム人と韓国人はよく似ているところがあります。泣き女に立膝座り、平気で嘘をつく、外国人相手のボッタクリは当たり前、タイ・ラオス・カンボジアミャンマーとは明らかに異質な国です。それでもボッタクリがかつての10倍から2倍程度までに収まっているのですから進歩といえるでしょう。

シンガポールはピークを過ぎた印象。最近では地下鉄が故障でよく止まるといいますが、チャンギ空港は入管もセキュリティも人口比10%未満のインド系が7割以上。

能率も以前よりだいぶ落ちている。ホーチミン~シンガポールのシンガポール航空もレベルが落ちている。

着陸時の安全確認もいいかげん、眠っている人がシートベルトをしていなくても見て見ぬふり。着陸時の衝撃で荷物棚のロックが外れ、2ヶ所ほど荷物が落ちそうになり乗客が必死に荷物が落ちないよう支えているのに乗務員は誰一人こない。

食事のサービスも昔ながらの食事とドリンクを一緒にサーブする時間のかかる方式で前方の客が食べ終えた頃に後方の客に食事が出る。気流の悪いチャンギ空港が近づくとサービス終了はいつも通りとはいえ全く改善する気がないことがわかります。

今回、タイ航空、シンガポール航空、ユナイテッドに搭乗しましたが、なかでは安全面でもサービス面でも最下位でした。シンガポールでは出生率の低い華人系は頭脳労働に集中し、現場レベルではインド系・マレー系あるいは外国人労働者に頼る割合が増えているのかもしれません。

シンガポール居住人口の1/4が外国人ですが、今年から労働許可証を持つ中国人やアジア人労働者は滞在可能期間が6年から10年に伸びています。このまま低出生率が続き大陸の中国人が増えるなら、シンガポールもいずれ中国に飲み込まれてしまうかもしれません。

実際、今回泊まったゲイラン地区は中国そのものでした。英語は道路標識のみ、冷房のない食堂で料理を選んでいると100%中国語で話しかけてくる。商店は中国人向け、インド人向け、タイ人向けに別れ、扱う商品も全く異なる。

タイ人向けの店ではタイ米にタイビール、両替もUSドルと人民元はお断り。同様にインド人向けの店ではインド米にインドビール、各種香辛料が並ぶ。同じ長粒種のコメといってもタイ米とインド米では香りも全く違います。

中国人向けの店ではハルピンビール、燕京ビール、青島ビール、珠江ビール、など中国各地のビールに加え、高粱酒など各種蒸留酒が揃っている。

数年前、シンガポールの中心部に泊まった時には午後10時以降は酒類販売禁止だったのですが、この地区は対象外なのか朝までOK。料理も四川の麻辣、福建麺、広東の点心、田鶏、鶏の丸焼等々、客で賑わう店の料理は中心部の冷房の効いたホーカーセンターよりはるかに美味。

ビールもほぼ原価販売で、黒いミニスカのCarlsbergのお姉さん、酔っぱらいオヤジたちに大人気。そんな店でつまみも取らずひたすらビールを飲む中国人、シンガポールで大金を稼ぐ夢が破れたのか、望郷の念に浸っているのか、人生の厳しさに打ちのめされているのか、とにかく全く覇気がない。

誰もが成功するわけではないとはいえ、あまりの意気消沈ぶりに気の毒になります。

ゲイランはシンガポール有数の風俗地区ではあっても大規模な夜総会はなく小規模なKTVと各国女性の置屋が中心、街娼も多いですがしつこくつきまとうこともない。

チャンギ空港と市内をむすぶ道は公園の中を走っているような錯覚すら覚えますが、あくまでショーウインドウですね。

ゲイラン地区の店の多くは造りも清潔さもバンコクと大差のないレベル。一人当たりのGDPでシンガポールが躍進しようが現実は外国人労働者の低賃金によるものだとわかります。

ユナイテッドの早朝便に遅れないよう潮州料理店にて朝4時まで時間をつぶす。豆腐料理と思ったものは卵料理でしたが、中から野菜が出てくるまで気がつかなかったほどフワフワで口当たりのいい絶品。

野菜料理も挽肉料理も素材の味が活きて美味、どれも作り置きでこれほどの味なら出来たてはどれほどうまいのか。シンガポールでこれほど美味しい大衆料理が食べられるとは思いませんでした。

リピーターが少ないシンガポールですが、ゲイランの猥雑さはシンガポールの裏の顔として楽しめます。
(PB生、千葉)
♪♪
(読者の声3)ベトナム・ホーチミン市滞在はほぼ10年ぶり。中部のフエやホイアンなどのほうが居心地がよく通過するだけでした。

空港到着前に出入国カードの配布がなく入国審査場で探すがやはりない。なんと2010年9月から廃止になっていた。ベトナムではパスポートはホテルで取り上げられるからカードを書かせる必要もないのでしょうか。

タンソンニュット空港にはかまぼこ型の戦闘機の格納庫が残っていますが、分厚い鉄とコンクリートで作られていてベトナム戦争当時のアメリカの国力の一端がわかります。両替所には通常なら「売り・買い、現金とTC」のレートが表示されるのに、この空港なぜか一番レートがよく見える「買い」の表示のみ。

90年代半ばに1万ドンまでしか紙幣がなかった頃は5千円の両替で厚さ1センチもの札束になったものですが、今では10万・20万・50万ドン紙幣(1万ドン以上はプラスチック製)があるので楽、レートは1万ドンが40円。対ドルレートでは96年に市中では1ドル1万ドンだったのが現在は1ドル2万ドン。市内までのタクシーはなぜか千円、チケットに書き込む数字を見ると18万ドンだから750円。

潔癖症の日本人だと文句をいう人もいるかもしれませんが1990年代には外国人価格がありチケットもホテルも全てドル建てだった名残ですね。遠回りされたり運転手と揉めるのも面倒なので250円分はチップと思ったほうがいいのでしょう。市内への道は相変らずオートバイの洪水ですがほとんど新車。ホンダのカブ中国製偽ホンダ(HONGDA)も全く見かけません。

2000年当時一番走っていた水平基調のデザインのホンダドリームも少数派、ほとんどはタイと同じく尻上がりデザインのホンダウェイブ並びにヤマハ・スズキの同様なデザインのバイク。

かつてタクシーはほとんどが韓国車でしたが、現在ではトヨタ車が圧倒。しかし自家用車では韓国車も頑張っており、特に起亜自動車のデザインには素晴らしいものがある。現代自動車のデザインもモノマネを完全に脱却、品質が確かならば相当手ごわい存在になりそうです。

ホーチミン市の旧市街は現在でもサイゴンと呼ばれます。福岡市≠博多のようなもので、サイゴンの方がしっくりするので以下、サイゴンとします。空港から市内中心部への道では、ほぼ全ての交差点にデジタルカウンター付の信号機が設置され渋滞は全くない。

しかしバイクの数はさらに増えているようで、どのタクシーも擦り傷だらけ。火炎樹などの街路樹は以前と変わらないものの、フランス時代の角型穴あきの電信柱はほとんどなくなってしまったようだ。

サイゴンは空が広く大阪を思わせるところがあります。

気質的にも信号や規則を比較的よく守るハノイが東京だとするとサイゴンはその辺がいい加減な大阪に近い。警官や警備員、ホテルマンなどの制服姿もハノイの方がサイゴンよりピシッとしているあたり、成田と関空の制服姿の差と同様な印象を受けます。

バンコクと比べると差異が一層際立ちます。

タイ人は「アイロン命」で服に折り目がキチンとついていないと落ち着かない。一方サイゴンでは多少ヨレヨレでもほとんど気にしない。

警官・警備員も同様で、バンコクでは軍服同様に裾をブーツの内側に入れるのに対しサイゴンでは普通の靴に普通のズボン。どうにも締まらない印象です。宿は安宿街として有名なファグーラオのミニホテル。冷房・冷蔵庫・エレベータ・無料の無線インターネット完備で20ドル程度のホテルはいくらでもあります。

ホテルの予約サイトを見ていて笑ってしまった警告文、「ベトナム人の未婚女性と宿泊する場合、同室での宿泊は禁止されているため、別途部屋を予約してください」というもの。

1990年代には警察・共産党・ホテルのピンハネがひどすぎるためカンボジアまで出稼ぎ売春に行くのだと言われたほどで、10年前でもミニホテルのレセプションでは女を斡旋していました。

ベトナム韓国同様に売春大国、絵葉書売りも春を売るし、マッサージ嬢はもれなく売春を持ちかける。サイゴンの国営ホテルのマッサージ嬢しかり、ダナンの街中のマッサージのおばさん、プノンペンのマッサージの少女、一様に5分もマッサージをすると売春を持ちかけてきたものです。マッサージは真面目にやるとけっこう重労働ですから、下品な言い方ですが股を広げて寝ている方が楽という考え方があるのでしょう。

サイゴンではシクロやバイクタクシーのドライバーが「マッサー、ブンブン」と声をかけてきます。ブンブンというのはインド圏のジキジキと同じくセックスの隠語です。

身振りでは左の掌を右手の拳で叩くしぐさがセックスを表しますが、岩波少年少女新書の一冊で満州から引き揚げた中学生の回想録にロシアでも同様のしぐさをする例が出てきます。今回はどうかというと、ホテルでの斡旋はなし。

しかし夜遅くビールの買出しに出かけると5分間で5人の女に声をかけられた。「マッサー、ブンブン、ワンナウアー、サーティドラー」といったものです。中国人同様、単刀直入でビジネスライク、バンコクとは全く違う。バンコクではたいてい甘えるように「パイ・ドゥワイ、ゴー・ウィズユー」一緒に(ホテルへ)行きましょう。

中国人・韓国人は若い女とのセックスが目的で酒を飲みに行きますが、日本人はそうではありません。下心があるにせよ、まずは会話や雰囲気を楽しむために酒やコーヒーを飲みに行く。そのへんが理解できない中国人はメイド・カフェのようなものまで風俗と勘違いしてしまう。

中国人・ベトナム人は接客業に向いていないのは飛行機に乗ればわかりますが、マッサージを受けてみるとよりはっきりしますね。
(PB生、千葉)

(宮崎正弘のコメント)サイゴンの路地裏の表情、楽しく面白く拝読しました。そういえば、1972年師走、まだ戦争中だったサイゴンへ行きました。ヴィザ取得に英文で18首の書類を用意して、飛行場から市内の、新聞記者のたまり場だったマジェスティックホテルまで、なんと十八個所の検問がありました。徳岡孝夫氏や古森義久氏らもサイゴンにいた頃です。

ホテルの周りは洒落れたバア街で、タクシーは人力車がバイクでした。

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 時事通信

コメント(0)

『我ら降伏せず -サイパン玉砕戦の狂気と真実-』復刊他二件をお知らせ

2012/05/15 00:14

 

本日は三件ほど重要な記事をお伝えします。「一旦緩急在れば義勇公に奉じる」時が今当に訪れました。日本人の皆さん考えて下さい。今ある危機は子孫存亡へと繋がります。我々は座して死を待つ訳には行きません。一人一人が出来る事を少しづつ行いませんか?

三番目にはあの幻の名著『我ら降伏せず -サイパン玉砕戦の狂気と真実-』が復刊されるお知らせです。小生は早速購入しました。

1 「そよ風」【人権救済法案という日本のっとり法案】より転載します。

昨日30日、「人権侵害救済法」反対の集会&デモに参加しました。青山公園(「地下鉄」乃木坂駅近く)の青空の下での集会という初めてのケースでした。

腰を下ろす者、立ったままの者、自由な雰囲気で。しかし、土屋たかゆき都議と村田春樹氏が次々に人権救済法の恐ろしさを訴えられると、集まった人達もそんな悪法を絶対に成立させてはならないという気持ちで盛り上がりました。

最後に参加者との質疑応答まであり有意義な集会となりました。

その後、渋谷に向かってデモ行進を行いました。青山墓地、青山通り、表参道、原宿、渋谷でしたが、年寄りには歩く距離が長すぎるような気がしましたがさすがに表参道や渋谷では多くの方がこちらを興味深そうに見ていました。

中には車中から手を揚げてくれる人もいました。さて、講演での印象に残った話からクイズです。

【この条約に一番熱心な人達はだれだと思いますか】

答え:法務省ノンキャリア・事務局員達です。

人権擁侵害救済法案成立は法務省の悲願なのです。法務省天下り先がないのです。この法案が通れば5000人の人員が必要だと言われています。

【この法案に大反対している党はどこだと思いますか】 

答え:共産党。

共産党はこの運動を最も進めている部落解放同盟の天敵。(そもそもこの法案は部落解放同盟の支持があったといわれる自民党・野中幹事長が推進)その昔、中核派、核マル派として争った構図がそのままなのです。つまり、相手の怖さを知り尽くした共産党が恐れるほどの威力をもった条例なのです。

考えても見て下さい。令状なしで、いきなり、家に上がりこまれ、家宅捜索、パソコン押収ですよ、私生児と言っただけで人権侵害だと訴えられるのです。ちなみに、私生児は婚外子となり、今は非嫡子というのだそうです。言論の自由の無い恐ろしい世界がもう、目の前ですよ。

【小さく生んで大きく育てろの意味わかりますか】

今回この条例をなんとしても通したい為に非難の多い条文を削り、一旦引き下がり5年後に先送りしました。

1、マスコミの報道を恐れて、マスコミの監視を条例から外しました。

2、呼び出しに応じない場合30万円の科料という文言を削りました。

これを、推進派は「小さく生んで大きく育てろ」と言っているのです。日本人舐められすぎです!

【過度の敬語は人権侵害だという、彼等の最終目標は?】

答え:ご皇室の廃止です。

マスコミは宮様、陛下、等の言葉を使わなくなり、様で呼ぶようになっている。

【外国人が5年在住しただけで国籍がとれ、不法滞在者でも妊娠すれば、出産祝い金がもらえ、保険料も払っていないのに、ただ同然で最高の医療が受けられ、薬がもらえる国、(協力的な病院に掛かり薬を沢山出してもらい、信用ある日本の薬を本国にドンドン送っている)不法滞在者の子供が学校に行ける国はどこでしょう。】

(シンガポールは合法滞在者でも妊娠したら帰国させます)さらに外国人が生活保護費をもらい、わざと離婚して、一緒に住みながら二倍の生活保護費をもらえる国はどこでしょう。

答え:日本 こんな外国人天国の国は世界にありません。

ところが、更に、私達が外国人を批判さえできない国にしようとしているのがこの人権救済法案なのです。日本を外国人のための国にする人権救済法案。

これを許したら日本は終わりです。しかし、先行きは真っ暗!皆様声を挙げて下さい

2 【日本政策研究センター】より転載します。

☆「見送り」は決定されていない―人権救済法案の国会提出☆

問題の「人権救済法案」は通常国会への提出が見送られたとの報道がありますが、法案提出の見送りはまだ決定されてはいません。

5月8日、閣議後の記者会見で小川敏夫法務大臣は次のように発言しています。

【記者】人権救済機関設置法案について,一部の報道では今国会での提出見送りとありましたが,現状はどうなっているのか,また,今国会に提出する意思はありますか。

【大臣】見送ったと決めた事実はございません。引き続き提出する努力はしているところでございます。ただ,時期も含めて具体的に提出するということが決まっているわけではございません。

通常国会の会期は6月21日までですが、延長は必至。まだまだ国会提出の危険性は十分にあります。油断はできません。

◇◆当センターのWEBサイトから「人権救済法案」反対のチラシがダウンロードできます。
http://www.seisaku-center.net/images/jinken-chirashi20120401.pdf

◇◆当センターが発刊しているブックレット『こんなに危ない人権委員会―「自由」を脅かし、家族を壊す「人権救済法案」を許すな』(A5判32頁、300円)が好評です。当センターにお申し込みください(TEL03-5211-5231)。

◇◆石原知事の尖閣三島「購入」発言についての当センターの見解をウエブサイトにアップしております。

http://www.seisaku-center.net/

東京都が行っている尖閣購入の寄附については、パソコンから次のページで詳細がご覧になれます。
http://www.chijihon.metro.tokyo.jp/senkaku.htm

連絡先は、知事本局の尖閣諸島寄附担当 直通電話 03-5388-2206

3 【復刊ドットコムからのお知らせ】より転載します。

映画『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-』の題材にもなり、近年改めて脚光を浴びることになった、太平洋戦争におけるサイパン戦。その戦場の過酷で無残な様子を日本軍の視点から克明に記録した、田中徳祐による壮絶なるドキュメンタリー本が、およそ30年の時を経てついに復刊です!
――――――――――――――――――――――――――――――――――
▼『我ら降伏せず -サイパン玉砕戦の狂気と真実-』(最終得票数 137票)に寄せられた復刊リクエストコメント

『私の祖父も軍人だったので、太平洋戦争でどんなことがあったのかをきちんと知りたいと常々思っています。また後世のためにもこういった本の再販の必要性を強く感じます。』

『各戦地での悲惨な玉砕戦の本はたくさんありますが、この一冊だけでも各戦地で戦った兵士の実情が判る、凝縮された内容です。戦記物を初めて読む方には刺激が強すぎるかもしれませんが、日本人として知っておかなければならない内容です。』

『図書館で借りて2回読みました。大概の本は1回読めば気が済むのですが、この本は読み足りません。是非、復刊を希望します。』(以上、リクエストコメントより)
―――――――――――
■『我ら降伏せず -サイパン玉砕戦の狂気と真実-』(最終得票数 137 票)
http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68320563&tr=s
―――――――――――
【著者】田中徳祐
【発行】復刊ドットコム
【予価】2,310円(税込み)※予価の為、価格が変更する場合がございます。
【発送時期】2012/07/下旬

GHQにより発禁処分を受けた、幻の実録サイパン戦記---!!

玉砕戦とはかくも無残なものなのか。バンザイ攻撃、米軍の残虐行為、自決、集団投身自殺、そして斎藤中将の最後--- そのすべてを体験し目撃した士官、田中徳祐。500日にも及ぶ戦闘の間、著者が片時も離さず携行していた作戦地図、隊の行動、敵の動き、戦友の死などを記したメモに基づいて執筆された、実録サイパン戦記。

▼「はじめに」より一部抜粋
私は、昭和二十二年、帰国するとすぐ、この実戦記を書いた。散華した戦友とその遺族、民間人のためにも、残さなければならない、と思って夢中で書いた。「今日の日本」という雑誌にその一部を発表した。だが、当時のGHQの検閲をうけ、ズタズタに切りさかれて、ただの戦争報告にすぎなくなった。あげくの果て、「以後の発表まかりならぬ」というきつい命令までうけ、原稿は書斎に眠ったままとなった。

 遺族の要望もあって、七年ほど前に発表の機会にめぐりあった。書庫から取り出して出版社に持ち込まれた。だが、「あまりにもショッキングすぎる」といわれて再び陽の目をみることができなかった。玉砕というあまりにもショッキングな事実を、いまさら、ということもあったろうし、本当の戦争の恐ろしさ、悲しさ、残虐さを知らなかったからかもしれない。

然し、私はただ事実を、体験を、こっそりと持ちかえった作戦図をもとに、書いたにすぎない。多少の記憶違いがあるかもしれない。また、いまの地名とは違った呼び方をしているところもある。しかし、作戦図に書き込まれた戦争は、否定のしようもない事実であった。

▼目次
はじめに
序章 満州からサイパン
第1章 スキを突かれた守備隊
第2章 敵上陸 熾烈なジャングル戦
第3章 机上戦術に散る命
第4章 タッポーチョ山陥落
第5章 総攻撃
第6章 残虐の数々の、この恨みいつか
第7章 援軍を夢みて
第8章 あゝ堂々のゲリラ戦
第9章 収容所潜入
第10章 さらばサイパン

※本書は1983年・立風書房刊『我ら降伏せず』を底本に復刊するものです。内容は当時と同じものです。

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 時事通信

コメント(0)

【拉致に表れた国家意識の薄さ】

2012/05/14 06:47

 

「ねずきちのひとりごと」より転載します。
中山恭子参議院議員と謂えば拉致被害者を救った辣腕政治家の印象が強いと思います。乍併、彼女は天照大御神の如く慈愛に満ちた「大和撫子」と断言できます。彼女は「たちあがれ日本」に参加して平沼赳夫議員らと共に憲法改正等に取り組みます。

其処で「中韓を知りすぎた男」より日本国憲法について転載します。

平和主義に基づく憲法9条を中心に考えてみました。国民の生命と安全を守るためには9条の改正こそ急務であると感じました。

 左翼や護憲派の主張の馬鹿らしさに日本国民は早く気づいて下さい。護憲派は「憲法は国益のためにある」という常識を忘れ、まるで「国は滅んでも憲法を守れたらいい」という倒錯した考えを正しいと信じている大馬鹿者の集団です。

今の憲法は完全に違法なのです。何故なら国際法であるハーグ陸戦条約第43条で「戦勝国は占領地の法律は変えてはならない」と記されています。

 つまりいくら戦争に勝ったからといって現地の法律を変えてはいけない。「占領した国の法律を尊重して占領しなければいけない」と決められています。「占領地の法律は変えてはいけない」ということはアメリカに押し付けられた今の憲法は当然無効なのです。

「日本は戦争に負けたのだから憲法を変えられても仕方がない」という考えは国際法上、成り立たないと言うことが分かっていただけたと思います。ということは国会で「現憲法は違法 故に破棄します」と宣言して明治憲法に戻さなければいけません。

日本国憲法の三大原則が「国民主権」「平和主義」「基本的人権」の三つが土台になっていますが、全ての目的が基本的人権を守るための規定であることがわかります。特にバカ左翼や護憲派は基本的人権を永久不可侵と崇めたてまつって日本の国柄を壊し続けてきました。

 彼らの考えは、戦争は基本的人権に対する最大の侵害行為であり、天皇に関する規定も結局基本的人権を守るためであり、統治機構(国会、内閣、裁判所)も基本的人権の保障の手段と考えてきたのです。

それ故バカ左翼は事あるごとに人権を盾に攻撃をしてきます。彼らの思考の中には国が完全に抜けています。国よりも個人の人権が優先されているから、平気で国に背き、国を批判し、わが国の過去と現在を攻撃できるのです。

自分の生を受け育てられた自分の国を重んじるのは最も自然な人間の道です。ところがバカ左翼の頭は国よりも人権が優先されているためにかけがえのない自分の国を平気で悪しざまに罵れるのです。(転載終了)

國なくして國民の生活は成り立ちません。國家と謂う根幹が在ればこそ我々は日本國民として存在し、パスポートの「日本國」の刻印で世界中何処でも行けるのです。「世界市民」為るお目出度い言葉では変人扱いされるでしょう。

國家國民の機幹たる憲法を大和民族の手で改めない限り、真の独立國家とは謂えません!

【拉致に表れた国家意識の薄さ】

中山恭子先生0505-1

中山恭子先生の一文をご紹介します。2012年04月30日産経新聞東京朝刊に掲載されたものです。こういう素晴らしい政治家が、日本にはまだまだいるのです。その素晴らしい政治家が、国政の中心となり、私たちの国を正常化させる。そのために必要な環境を作り上げるのは、私たちの仕事であると、私は思っています。
~~~~~~~~~
【拉致に表れた国家意識の薄さよ】 参議院議員中山恭子

戦後20年の頃から、仲間に信頼され、責任感の強い高校生たちが姿を消した。1970年以降は、日本の典型的家庭で日本的な躾をしっかり身に着けた人々が拉致された。印刷工や看護婦など多くの職種の若者たちも姿を消した。

普通に生活していた人々が、外国から忍び込んだ工作員に袋詰めにされて連れ去られるなどということが各地で起きていたとは、何と情けない国か。なぜ、日本は国民の拉致を防げなかったのか。

北朝鮮による拉致のことを、ほとんどの日本の人々は知らなかった。知る由もなかった。80年1月7~9日に阿部雅美記者のアベック拉致事件報道が産経新聞1面に載ったにもかかわらず、触らぬ神にたたりなしとでもいうように、他の報道機関が追随することもなく、この問題は沙汰やみになる。

97年に家族会が結成され、被害者家族が「娘や息子、兄弟が北朝鮮に拉致されています」と必死で訴えた際も、ごく一部の関係者を除き、行政府も政界も社会も、彼らを厄介者を扱うように門前払いにし注意を払おうとしなかった。

被害者が北朝鮮にいると分かっていながら、なぜ日本は国を挙げて救出に当たれなかったのか。警察組織に欠陥があったのか。国防力が弱いからか。日本社会全体が冷たいものになってしまったからなのか。

多くの要因があり、全てが関わっていると考えられ、その遠因に戦後の占領政策と占領下で急ごしらえで作られた現行憲法があると言わざるを得ない。

もちろん、我々日本人は現行憲法から自由、民主主義、国民主権など多くのものを得た。一方で、占領が終了して独立を果たした後も、経済発展に邁進するあまり、見失ってしまったものは大きい。

その一つが「国家」意識である。個人の自由や権利が主張される一方「国家」というものから極力目を逸らしてきた。「国家」として国土を防衛し、国民を守るという気概も、他国に拉致された国民を何としても取り戻すという気迫も今もって強く感じられない。

52年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復して今年でちょうど60年になる。40年に生まれ、戦後の惨憺たる日本の状態を子供ながらに見ていた者として、どのようなことがあっても平和を維持していかなければいけない、

次の世代に平和の尊さを伝えなければならない、それは戦争の悲惨さを見た世代の使命であるとの思いで過ごしてきたし、今もそう確信している。

だが、国民が拉致され他国で監禁状態に置かれたままの日本は真に「平和」だと言えようか。他国の顔色を窺い自国の国土、国民を守る意識もない国は平和国家とは言えない。真の平和を維持するには大きなエネルギーが必要だ。

四方を海に囲まれた日本は歴史上、他国の侵略を受け国が奪われる経験をしなかった。人々は「国家」が消滅するという切迫した危機感に乏しい。しかし、現実 の国際社会では、拉致に象徴される様々な工作活動がなされ、日本も当然、標的となっている。

事実、北朝鮮の工作員は船で日本の沖合まで来て、 小舟などで上陸していた。日本国内に他国の工作員が易々と侵入していたのである。

戦後、日本は国を守ることにあまりに臆病だ。羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹き続けている。真の平和を享受するためには、外交力、国際的な情報力、防衛力、母国への思いなど、あらゆる面で常に備えていなければならない。

一刻も早く、国土と国民を堅固に守る体制が求められる。その根本が憲法である。

憲法の前文を読むと、日本の長い歴史の中で、日本の人々が培ってきた文化に基づく考え方や思想が見当たらない、自分たちの言葉ではなく、 他所から借りてきた文章が綴られていると感じ、大変残念なことだと思い続けてきた。

前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」とある。今の国際社会は、「諸国民の公正と信義」を信頼できる状況にはない。

諸国民を信頼する前 に、「国家」として自立していなければならない。それには、自国の国民、領土・領海・領空を守ることが不可欠であり、できなければ国は消滅するというのが 現在の国際社会の掟(おきて)である。国際社会は厳しく、甘えの余地はない。

本来、調和ある社会を重んじる日本には、国際社会でも重要 な役割を果たして貢献できる文化がある。こうした日本の精神・文化を盛り込んだ憲法を自ら制定する時が来ている。

主権回復から60年、回復したはずの主権 を自ら守り切らなかったことを恥じ、まずは自らの憲法を制定しよう。
~~~~~~~~~
文章は、恭子先生らしく、とてもやわらかな文ですが、私はこれを檄文だと思いました。まさに、国家というものの厳しさを再認識させられます。

文中には、国家としての自立、自国の国民、領土・領海・領空を守ることが不可欠との記載されています。たいせつなことは、同時に中山先生は、常々、日本文化の受容性の大きさを好感し、「文化のプラットホームとしての日本」という提言もされていることです。

<文化のプラットホームとしての日本>
http://nakayamakyoko.net/modules/jpn/content0010.html

自国が国家として自立することと、異文化と積極的に交流することは、決して矛盾することではない。むしろ、国家国民がきちんと自立したところに、交流は生まれるのです。そのことを中山恭子先生は、自らの行動を通じて、はっきりと世界に示されています。

このことは逆に考えると実にわかりやすいです。国家国民が自立せず、単に他国や他国民に迎合するだけの状態、もっといえば、国家が存在しない者が、他国に迎合するだけの状態というのは、いったいどういう状態か。

すこし考えたらわかることです。これは支配者と被支配者の関係にしかならない。

自由に行動し生殺与奪の権を持つ支配者と、自由を阻害され、人としての権利も尊厳も生命財産も、一切認められない被支配者。そんな信じられないような関係が、世界の歴史には、そして現代世界にさえも、いくらでも存在します。

そして不思議なことにいまの日本の国政は、日本の歴史伝統文化を否定し、ひたすらに反日国に進んで迎合しようとしています。

中山恭子先生のご主張は、国家国民が、きちんと自立したうえで、互いに対等な関係を築き上げようというものです。威張る必要なんてない。支配するのでもない。古い歴史と伝統のある日本は、きちんと自立するだけで、世界中の諸国家と仲良く対等におつきあいできるのです。

では、日本が自立するために何が必要かといえば、国家として「自らの憲法」を制定しよう、と述べられています。まさにその通りと思います。

中山恭子先生は、北朝鮮にいる拉致被害者を、単身、北朝鮮に乗り込んで取り返して日本に連れ帰られました。これは実にすごいことです。

なぜなら、拉致被害が現実のものと認識されてから、内閣も外務省も他の政治家の誰一人さえも、北朝鮮と仲良くしているという政党や政治家さえも、誰一人実現できなかったことを、単身でやってこられたからです。

恭子先生には、他にも同様のエピソードがあります。ウズベキスタン大使就任中の頃のことです。国際テロ組織アル・カーイダの一味が、よりによって日本人商社マン4人を拉致し、国境を越えてカザフのアルカイーダの拠点に強制連行してしまったのです。

これを聞いた恭子先生は、ウズベクの大統領に救出を要請するのだけれど、国境を越えた先に連行されたとあっては、どうにも手の施しようがない。しかも相手は、機関銃で武装したテロリスト一味です。

で、恭子先生がどうされたかというと、日本人女性の身で、単身アルカイダの本拠に乗り込んで、拉致被害者全員を、見事に連れ帰って来てしまった。こんなこと、他に誰ができるでしょうか。

こう書くと、まるで烈女のような猛者を想像されるかもしれませんが、お会いすると、とてもしとやかで、おっとりとされていて、なんだか柔らかな光のようなものに包まれたようなとてもお優しい雰囲気の方です。ああ、日本人女性の理想の姿というのは、こういうお人のことをいうのだな、とお会いした誰もが深い感激を受けられます。

けれど、そういうとてもお優しくお見受けする女性が、まさに世界の歴史に残る大偉業の数々をやってこられているのです。

私は戦後の復興と高度成長は、国家意識を持って育った人たちが社会の中心を担っていたからできたことだと思っています。逆にバブル経済と、その後の日本の衰退は、国家意識を持つことを否定する教育を受けた世代による世代交代の帰結だと思っています。

いいかえれば、日本が再生する道は、日本人が国家意識に目覚めること。目覚めた国家意識で日本を「この国」ではなく「我が国」と考えるようになること。そこに再生の鍵があると思っています。

鍵が開き、とびらが開いたとき、日本は再び世界の柱として大きく成長する。そのことを多くの世界の識者が理解しているのに、なぜか現代日本人だけがまったくわかっていない。

女性の恭子先生だってこうして勇気を持って立ち上がられているのです。男性諸氏、我々も日本を守るために立とうではありませんか!

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 時事通信

コメント(0)

シベリア抑留と遺骨収集を考える

2012/05/13 06:01

 

「やまと新聞」より転載します。

敗戦後GHQに阿り日本解体に嬉々として従った共産主義者達や彼等に阿諛追従した似非日本人の群れが存在します。戦地から無事帰還した兵士の方々を白い目で蔑み、冷淡にあしらった蒙昧未知な日本人も数多く居ました。其の当時の帰還兵の皆さんはどれ程無念であり、口惜しかった事かと今更乍に落涙する思いです。

戦前の日本軍は侵略戦争を行った非道な存在だから、本土の人々は彼等の遺骨収集などに全く興味を示さなかったのです。お国の為に散華された英霊の方々は、命を懸けて護った邦人から見捨てられ今日に至ります。

此処に在る論文が在ります。第3回アパグループ「真の近現代史観」最優秀賞「大東亜戦争を戦った全ての日本軍将兵の方々に感謝をー佐波優子」

第1回は一躍時の人と為った田母神俊雄元大将による「日本は侵略國家であったのか」でしたね。

凡そ世界中に存在する國家に於いて、兵士をぞんざいに扱い敬意を表さない國など存在しません。我々の安全・生命を護る為に我が身を盾にする兵士は、尊敬の対象であり憧れの的でも在ります。日本は其の真反対の存在です・・・

私は就寝前に南の方向を向き、硫黄島で散華された英霊の皆さんに水を捧げます。【青山繁晴『ぼくらの祖国』(扶桑社)】を読んでから始めた大切な儀式と為りました。此の書籍は「熱血の詩が語りかける日本の精神の復活、その霊気、被災地で、硫黄島で英霊の「気」に打ち震え、決意新たに祖国を思う」ものです。

映画で有名に為った栗林大将の遺族の言葉です。

「栗林忠道は、二万人を死に追いやった悪者だと謂われたから、五十回忌どころか一周期も三回忌も七回忌もやったことがないんです」

「青山さん、ただの石ころではないんです、なんとまぁ、アメリカ兵が日本兵を哀れんで、日本という國は負けたからといって遺骨収集さえしない國なんですね、と謂ったそうです。お気の毒だから、私たちが石をあげましょうと謂って米軍の側からくれた硫黄島の石ころなんです」

是を聞いた日本人よ、一体何を思いますか

シベリア抑留と摩刀石の戦いから国防を考える】

2月15日、兵庫県三田市で 「民族奴隷の悲劇・シベリア強制抑留」ソ連軍満州侵攻と壮絶、摩刀石の戦いについての講演会があった。 主催:立ち上がれ日本 三木圭恵氏

昭和20年8月9日未明、ロシア(ソ連)が不可侵条約を一方的に反故、戦線布告して国境に押し寄せてきた。掲げる旗は「人民解放・平和」だが、その軍のやることは暴行、略奪、強姦、強盗、殺人など、残虐の限りをつくすものだった。

この講演会の講師 荒木正則氏は当時の関東軍、北派遣軍、朝鮮軍より士官教育のために石頭予備仕官学校に入校していた3500名のうちの1人。教育は「将校は軍隊の禎幹なり」という指導教育、軍の第一線指揮官として対ソ号作戦の猛訓練を受ける。

国境を脱走する友軍を尻目に摩刀石で遊撃の最前線にたつ。摩刀石の戦い、荒木連帯猪俣大隊850名の学徒兵は軍の後方陣地の構築、牡丹江8万人の邦人引き上げの時間稼ぎの任務を負った。

当時の 関東軍たった1週間の対ソ戦争は荒木氏の言うところでは、

当時の兵力 ロシア軍 170万 
飛行機 ロシア 7170 日本200
戦車  ロシア 一般の戦車5270 当時の最新式T-34式戦車 7270 日本戦車 200
大砲  ロシア 3万 日本1600

まるで話にならないほどの兵力の差があった。

その中で国境の最前線の摩刀石の戦いについて荒木氏は振りかえる。学徒兵には武器はほとんどなく、手榴弾を胸にだき、戦車の下に肉弾突撃するしかなかった。訓練で戦車の下に飛び込む訓練はしていたのだが、ロシア軍は150台の戦車、マンドリン機関短銃での狙撃など戦車に到達する前に倒れる学徒兵も多かった。圧倒的な兵力差だった。

しかし、学徒兵はひるむことなく、敵戦車の銃眼を狙撃し、戦車によじ登り天蓋から手榴弾爆破、戦車をぶんどり反転敵戦車を数台破壊した。これで850名中750名が戦死。屍は放置され、日夜、犬やオオカミが集まっていた。

どの学徒もカバンに書籍をつめいつかまた学習に励む日もくるからと大切にしていたような学生だった。おかげで在留邦人が逃げる時間が稼げた。

この戦いには当時の国家は勇気をたたえ当時は感謝したという、しかし月日は流れ今は日本がアメリカと戦争したことすら知らない。9条信者や捕虜に関するジュネーブ条約などをかかげ、無抵抗なら戦争にならないという夢を信じる人々まででてきた。

この壮絶な戦いを讃え、国を守ること外国からの脅威に立ち向かった人たちへ感謝することすらなくなった。国際条約や協定などは大国の都合でいとも簡単に反故にされる。そのいきた証言者がここにいると荒木氏はいう。

圧倒的に兵力がちがうと勇気や技術があっても悲惨な戦闘になる。

手榴弾を押して、数秒後に爆発するのだが、戦車にたどり着く前にちりぢりに四肢が飛び散る姿や、手榴弾が爆発せず、戦車のキャタピラーの下に巻き込まれ踏みつぶされる様子。半分にちぎれた胴体が飛び散るのを目の当たりにしながら次々とたこつぼから走り出て戦車に突撃する20代前半の若い士官学生の白黒映像を見た。

その戦闘のおかげで満州から邦人が逃げるチャンスができた。強大なロシア軍がこの自爆攻撃にひるみ一線を退いて作戦を立て直す間が作れた。そんな1人1人の国を守ろうとした兵士たちのおかげで今も日本人がここに生きている。そのことを忘れずにいて欲しい。

戦闘が終わって武装解除した軍隊を奴隷的な使役に使うことは許されないはずだが、60万~100万の関東軍や在留邦人がシベリアに抑留された。寒さと飢えと重労働で苦しみ若い青年の命が6万~10万人その地で牛馬のように蹂躙されて死に絶えた。

昭和20年8月9日に一方的に満州に侵攻したロシア軍はポツダム宣言の軍人早期帰還を無視し、強制拘留した。

その裏に荒木氏は8月16日のトルーマンとスターリン会談の日本領土の中の北海道の半分を割譲する要求があったのではないかと言っている。

8月16日の北海道割譲要求の時にベリヤは日本軍捕虜のシベリア移送は行わないという命令をだす。つまり、北海道を半分移譲すれば、捕虜の安全は保障しようという話だったのではないかというのだ。

トルーマンは8月19日にその割譲を拒否、それをうけて、8月23日に関東軍捕虜60万人をシベリアに移送せよという、「9898号」移送命令をだし、シベリア抑留が開始された。

シベリア抑留とは、「北海道北半分と引き替えにおこなわれた労働賠償の生け贄」でないかと荒木氏はいう。もし、そこでシベリア抑留がなければ今の日本の存在はなかったのではないかと。

このシベリア抑留への経緯もまだ明らかにされていない。

国家同士の条約や約束など、軍事力の前には簡単に反故にされるとういう生き証人が今も日本にはいる。大東亜戦争当時の日本は技術力も乏しく、経済力もまだまだだった。今、経済力も技術力もあり世界の覇権国家 米国と同盟国家でありながら、自ら軍事力を押さえる政策を行っているのはなぜだろう。

圧倒的な兵力の差は惨めな結果しかおこさない。

大東亜戦争での敗戦は惨めだった。あの戦争を振りかえるときに、なぜ、日本はあんな惨めな戦争をした反省から、二度と負けない強い国防力のある軍隊を作ろうと考えなかったのか?

現在中国軍は正規軍で156万とも言われる。対する自衛隊は25万人、長距離爆撃機やミサイルなど攻撃用の武器はもたない。海上自衛隊には護衛艦はいても戦艦も空母もいない。侵略にあえば、大東亜戦争以上に戦闘能力にかけた軍隊しかもたない。これでは国民を守りきれない。

シベリア抑留の体験者の荒木氏はシベリアに眠る戦友の遺骨収集活動を続けている。一回の遺骨収集で37体の遺体を収集した。どの遺体も20代前半の若い遺体で骨や歯がしっかりしていた。いまだに3万体以上の遺体がシベリアのどこかに眠っている。

遺骨収集の追悼式の場で荒木氏は戦友にたいし、「さあ、帰ろう、祖国日本へ。歩けないのか、ならば肩につかまれ。背負い、抱いて帰る。」と語りかけていた。

硫黄島の遺骨収集もシベリアも、その日本を守るための壮絶な戦闘も教科書にのせ、肩率がないといけない大事な話だ。国をまもるために犠牲になった若者のことを忘れないようにその勇気を褒め讃え、悲しい最後を悼み共に涙する時間を日本人は忘れてはならない。

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 時事通信

コメント(0)

日本政府が7月1日に何をしてきたのか

2012/05/12 07:26

 

「NPO法人百人の会」より転載します。

「日本は日本人だけのものでは無い」と迷言を吐いた鳩山元総理の元で、日本を特アに売渡す政策が次々に実行されます。其の恐るべき実態を我々大和民族には知らされません。

外国人住民の住民基本台帳制度の根幹を為す「在留カード」に関しては、下記の方に掲載しています。特定外国人に対する卑屈なまでの朝貢政策に驚くばかりです。

国内では反日御三家(NHK・朝日新聞・毎日新聞)が売国記事を垂れ流し、大江健三郎を中心とする反日文化人が日本罪悪論を吹聴し、支那・朝鮮の忠実な僕たる日教組が青少年を反日教育します。

その成果が見事成就して、民主党は政権を奪い去り支那に拱手する政策を実行するのです。こんな愚昧な政権を実現させたのは、他ならぬ我々國民である事を真摯に受け止めねば為りません。

我々に出来る事は「今そこに在る日本の危機」を一人でも多くの日本人に伝える事です。その思いが燎原之火の如く拡がれば、我が国は必ずや立ち直るでしょう。

【外国人住民の住民基本台帳制度】

  今年7月から、外国人住民の住民基本台帳制度が施行されます。詳しくはこちらをご覧ください。
http://www.nemushishi.net/marriage20.html

でも、これもまた朝貢政策?最近の日中関係の出来事を思い出してください。これまで日本政府が7月1日に何をしてきたのかを。

2009年7月1日には中国人に観光ビザ発給開始。

2010年7月1日には中国人観光ビザの入国者所得制限が緩和されました。

そしてこの日、それまで留学生枠とは別枠だった日本語学生の「就学生」が組み込まれ、日本人学生なら全額返金の奨学金を返還無用で支給を受ける対象範

囲に組み込まれているのです。

2011年の7月1日には、すでにご説明した議事録も存在しない決定経緯不明の沖縄数次ビザが実施されています。

なぜだと思いますか?

実はこの7月1日というのは、中国共産党設立記念日。

日本政府は毎年そのお祝いとして、この7月1日に合わせ、国民の同意を得ない中国優遇策を次々と打ち出しているのです。

中国では、2010年の7月1日には国防動員法が施行され、中国発の空母ワリヤーグも、本当は2011年7月1日に初の試験運航だったのですが、これ

は予定が延期されました。

ワリヤーグが解放軍海軍空母として就航すれば、東シナ海域での軍事バランスは確実に変わり、尖閣諸島も、また島民が住む石垣島や沖縄本島でさえ軍事的

危険が増すと考えられますが、そんな要因があっても日本は中国にお喜びいただけるよう朝貢しているのです。

中国を喜ばせるこの国の政治家と政府は、バカに輪をかけ馬鹿に磨きをかける、「土星バカ研磨仕上げ」のS級ドM状態。

この矛盾の一部に関してはすでにメルマガにてお知らせしておりますが、それでもメルマガに最適の長さに区切っているため、すべてはお伝えできません。

参考までにメルマガのお味見をどうぞ

http://foomii.com/00009/201205081427499796

そもそも、他人の身分と自分の写真を正規の旅券に記載して来日できる中国人の「なりすまし」対策ができていないのですから、外国人を社会福利制度に一

歩近づけたこの制度がめでたしめでたしで終わるはずがないのです。

今でさえさまざまな滞在資格問題が生まれていて、これが報道されず、現場の入管職員や警察官が勝手に公開できないため、その問題すら知られていない状

態。

国会議員の先生方でさえ問題を知りませんし、知っても民主党政権ですから手のつけようがない状態です。この新制度、外国人の居住実態を把握するのが目的なのだそうですが、把握した後どうするんですか?

役場では外国人登録において不法滞在を把握しても、目的はあくまで把握なのでこれを入管に通報したりはしません。市役所は警察や入管と連動なんかしていませんよ。不法滞在の事実を把握すれば、お役所の仕事は終わっているのです。

というより、ほとんどの不法滞在者の場合、登録しませんし、把握できていません。それを社会福祉制度で釣って把握しようというのでしょうか?

実際に、この制度で登録された外国人は、「国民」健康保険、「国民」年金、介護保険の対象者となります。国民じゃないのに。

国民の実生活を知らない政治家に、日本を知らない左翼が入り込み、世界を知らない世界市民が踊り出て、国際化が何だか分からないままつられて謳う国際

化社会の日本。

【在留カード】

在留カードとは、『出入国管理及び難民認定法及び日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法の一部を改正する等

の法律』(2009年7月15日公布。以下“『改正入管法』”と言う)に基づき、入国管理局が日本に滞在する外国人に対して発行する外国人管理用カードのこと

を言う。

在留カードは、『改正入管法』の施行による外国人登録制度の廃止に伴い、市区町村が発行する外国人登録証明書に取って代わり、外国人は入国管理局によ

って一元管理されることになり、氏名・生年月日・性別・国籍等の変更は入国管理局、住居地の変更は市町村に届け出る。

新たな在留管理制度の施行後は在留期間及び再入国許可が最長5年になり、出国してから1年以内に再入国する場合の再入国許可手続きを原則として不要とす

る「みなし再入国許可制度」が導入される等、外国人に便宜が図られる一方、在留資格の取消事由、退去強制事由および罰則が設けられる。

在留カードは、新たな在留管理制度の施行(2012年7月。具体的な施行日は政令で追って定める)後に新たに日本に入国した外国人および施行後に在留期間更

新等の手続きを行った外国人に対して順次発行されるので、新たな在留管理制度の施行前あるいは施行後すぐに日本に戻らなくてもよい。

永住権を持つ外国人以外については、基本的に新たな在留管理制度導入後の在留期間更新等の手続きを行う際に、地方入国管理局において現在所持している

外国人登録証明書と引き換えるかたちで在留カードが発行される。

永住権を持つ外国人については、新たな在留管理制度が施行されてから3年以内に在留カードの発行を申請する必要がある。

『改正入管法』が施行された時点(2012年7月。具体的な施行日は政令で追って定める)で、在留カードの発行対象が外国人登録証明書を所持している場合、

一定期間は外国人登録証明書が在留カードとみなされる。

入国管理局は、『改正入管法』が公布された後、希望者に向けて在留カード発行の予約受付を開始する予定だが、在留カードが実際に発行されるのは新たな

在留管理制度が導入された後となる。

【在留カードの発行対象】

在留カードは下記の外国人に対して発行される。

    日本人と結婚して「日本人の配偶者等」資格に基づいて生活している者
    「永住者」資格を有している者
    「技術」や「人文知識・国際業務」等の就労資格に基づいて企業等で勤務している者
    「留学」等の就学資格に基づいて学校に通っている者

【在留カードの有効期間】

16歳以上の永住者については交付日から7年、16歳以上の永住者以外については在留期間の満了日までとなっており、有効期限が切れる前に入国管理局におい

て更新する必要がある。

【在留カード手続きの詳細】

■同カード手続きの申請場所: 入国管理局あるいは上陸した空港または港

■同カード手続きの申請人: 本人(外国人)

日本に中長期的に滞在する外国人(永住権を取得している外国人を含む)の場合、上陸した空港あるいは港において在留カードが発行される。

在留カードの発行体制が整備されていない空港あるいは港から入国した外国人については、入国管理局は暫定的な措置として、その外国人が市町村にて住居

地の届出を行った後、それの住居地宛てに同カードを郵送する。

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 時事通信

コメント(0)

【美人画に見る日本の美しさ】

2012/05/11 07:31

 

「ねずきちのひとりごと」より転載します。
何時もとは若干趣を変えて本日は日本の美しさ・伝統美についてご紹介します。上村松園さんは實に美しい女性画を描かれます。是は西洋画とは全く異なる独特の芸術であると謂えます。

乍併、敗戦後の日本は日本画の素晴らしさを置き去りにして、西洋画を絶賛するような教育を突き進みます。此れも米国に追従するアホな三流教授連が芸大を席巻した結末で在ります。

試しに日本画家を問えば殆どの日本人は答えられないでしょうが、西洋画家なら何人でもすらすら答えられます。明治初期の日本では無いのだから愚昧なる西洋かぶれは止める事ですね。

縄文文献である『秀真伝(ホツマツタヱ)』を下記に記載します。。

第十二代景行天皇が、次期天皇(すめらみこと)の立場に在った大和武尊が、全国平定の帰途に鈴鹿で病没した事を悲しみ、大田種子命(おおたたねこみこと)に命じて、真の平和を達成する「天成(あめな)る道」と、日本の歴史を日本に漢字が伝わる前のヲシテ文字で書き残させたもの。大田種子命は先祖のクシミカタマノミコトが書き残した「天成る道」に、その後の歴史を書き加え、西暦126年に献呈した。

「ナガタ」「貴方が楽しいと思って下さる事が私の幸せです」他の人の愉しみを先にする生き方をすれば、此方も不思議に栄えて行くと謂う生き方。
「ナガサキ」貴方の幸せが先で「何か私がお役に立てる事が有れば嬉しい」と思い、行動する事を意味する。
「貴方に幸せに為ってもらう為に、私は何をして差し上げたら良いですか」と何時も相手を気遣う生き方の事。

是が大和民族の心です。其れが美人画を通して垣間見ることが出来ると思います。

【美人画に見る日本の美しさ】

志村立美「木場」

先日、静御前のお話をご紹介した際に、上村松園の静御前の絵を載せたのですが、今日のTOPは、同じく戦前から戦後にかけて一世を風靡した画家、志村立美の絵です。

世界中に美人は多数あるけれど、日本画家が描く日本人女性というのは、とりわけ美しいです。冒頭の絵の志村立美は、戦前、岩田専太郎、小林秀恒などとともに「挿絵界の三羽烏」とうたわれた人で、戦時中は戦争画もたくさん残しておいでになります。

なかでも志村立美は、戦後、晩年に至ってから日本画の美人画を追求し続けていて、「木場」と題された上の絵など、とても美しい絵をたくさんのこしておいでです。

この絵の女性は、なんていうんだろう、ちょっと姉御風で、凛々しくて、理知的、艶やかで、芯も強そうで、それでいてしっかりとした道徳観をもっていそうで、けれど情が深くてこまやかで、なんだかもともとの日本人女性が持つ美しさを、まるごと表現しています。

背景は簡素に描かれていますが、木場の様子をちょっと見に来た木場の若衆頭の姐さんなのでしょうか。ふとしたはずみにすこし振り返った瞬間が、実に品よく美しく描かれています。

絵には描かれていませんが、観ていると、あたりを包む材木の香り、青く澄み渡った空、手前にある木材の運河、そこで働く元気な職人さん達の姿といった背景までもがなんだか眼に浮かぶようです。

そこにちょいと佇む姐さんの、まるで匂い立つような艶っぽさ。簡素であっさりとした絵柄なのに、そんな辺りの風景や香りまでをも表現してしまっています。いや、実に美しい。

下の絵は、同じく立花立美の「初詣」で、こちらはちょっとお若い、振り袖姿の女性です。

初詣

場所は神社の入り口付近にある手水舎(ちょうずしゃ)なのでしょう。女性は左手に柄杓を持ち、ちょっと伏し目に描かれています。

神社の手水舎の作法は、
(1)まず右手で柄杓を取って左手を洗い
(2)次に左手に持ち替えて、右手を洗い
(3)右手に持ち替えて左手に水を受けて口を漱ぎ
(4)再度、左手を洗って
(5)柄杓を立てて、柄に水をしたあとに
(6)柄杓を元の場所にふせて置く。
というものです。

ということは、この女性は、ちょうど右手を洗い終わり、洗った右手を袂でそっと拭いて、お口をゆすぐために、また水を汲もうとしているのでしょう。静止した絵なのに、そういった動きが、実に生き生きと描かれ、それが同時に絵の女性の溌剌とした若さをも表現しています。いやはや、じつに美しい。

このように、絵から不要なものを一切排除しながら、絵の周囲の様子や背景、人物の動きなどを鑑賞する人にイメージさせることで伝えて絵に奥行きを与えるのが、日本画の特徴です。絵にものすごく深みがあるんですね。

西洋画では、女性美を描くのに、女性を裸にすることが多いけれど、日本画は、服を着た姿で描かれます。これは西洋画が主に女性の外見や肉体の美しさを描くのに対し、日本画は人としての精神性の美しさを追求する、その姿勢の違いであるともいわれます。

しかも日本画というのは、掛け軸などのように、絵を巻いて収納するから、油絵のような「重ね描き」がありません。いわばぶっつけ本番の下絵なしで、こうした美の世界が描かれる。ゴッホやモネなど、絵を知る欧州の名画家が、こぞって日本画の美しさの虜になったのもうなづけるというものです。

ちなみに、この絵を描いた志村立美は、丹下左膳を有名にした人としても知られています。

丹下左膳といえば、大河内伝次郎の「シェイは丹下、名はシャゼン」の名台詞が有名ですが、最近では映画で豊川悦司、テレビドラマで中村獅童がこれを演じています。

隻眼隻腕のこの剣豪は、実は空想上の剣士で、もともとは昭和2年に新聞小説として連載された林不忘の「大岡政談」の中に登場した人です。この物語の中で丹下左膳は、名刀「関の孫六」をめぐって争う一端役として登場するのだけれど、これを志村立美が挿絵にしてたことで、隻眼隻腕着流し姿の、ちょっと恐ろしげな剣士のイメージが、当時大評判になったのです。

あまりの人気ぶりから、志村立美の絵のイメージそのままに丹下左膳が主役で映画化され、なんと以降、団徳麿、嵐寛寿郎、大河内伝次郎、月形龍之介、阪東妻三郎、水島道太郎、大友柳太朗など名だたる名優がこぞって主演、戦後には丹波哲郎中村錦之助も、この丹下左膳を演じています。

最近ではトヨエツや中村獅童なども演じているけれど、そのイメージはもともとは志村立美が描き出したものです。その丹下左膳の「絵」が、↓です。

丹下左膳

いやはや、たしかに絵になる姿です。

ちなみに丹下左膳が争った名刀「関の孫六」は、三島由紀夫が割腹自殺した際に用いた刀としても有名です。その三島由紀夫に関孫六をプレゼントしたのが、渋谷で大手書店ビル「大盛堂」を経営していた舩坂弘さんで、舩坂さんは、パラオのアンガウル島の玉砕戦での生き残りの方です。

アンガウルとペリュリューでの舩坂さんの活躍は、後年映画「ランボー」の挿話としても描かれた実に壮絶なもので、いま渋谷の街が新宿、池袋と比べて健全性を保った街になっているのも、舩坂さんの影響が大であったといわれています。

【ご参考】
◇ランボーは日本人だった! 舩坂弘軍曹物語
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-708.html
◇アンガウルの戦いと人種差別
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-890.html

昨今の日本では、反日がいわば常態化し、日本のもつ素晴らしさや良さ、日本文化の持つ深みや精神性などが、忘れされれようとしているといわれます。

けれど、日本が培った日本文化は、実は世界中で絶賛されています。バカにしているのは、その素晴らしさが理解できない、欲に駆られた特ア人だけです。

戦時中でも、日本美を追求し続けた松園の絵は、日本人の日本的心を実に精緻に、細やかに語って聞かせてくれています。

こういう素晴らしい日本文化を、どうしていまの日本人は否定するのでしょうか。どうして日本という国の素晴らしさを、進んで学ぼうとしないのでしょうか。

日本はとても美しい。

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 時事通信

コメント(0)

【「開国」という錯誤】【指導者に見る顔と頭】

2012/05/10 02:33

 

「MoM放送局のMoMotarou」と「国際派日本人の情報ファイル」より二件転載します。

黄金週間中に「13歳からの道徳教育」育鵬社刊行を読んでいます。是が實に素晴らしい書籍なのです。ルビがふってあるので小学生でも楽に読めます。皆さん是非お子さんと共に読んで下さいね。

小生の敬愛する橋本佐内「啓発禄」に関する記事も有ります。書籍の中からマザーテレサの言葉を御紹介します。

「豊かそうに見える此の日本で、心の飢えは無いのでしょうか。誰からも必要とされず、誰からも愛されていないと謂う心の貧しさ。物質的な貧しさに比べ、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりも、もっともっと貧しい事だと思います。日本の皆さん、豊かさの中で貧しさを忘れないで下さい」

渡部昇一先生は謂います。「日本人には『岩盤のような道徳』がある」拳拳服膺すべき箴言で在ります。

【「開国」という錯誤】私は自分の義務を、地の果てにあっても思う、、「江戸城に初めてドイツ語が響いた時 1691年」より

お昼ごろ、車のラジオに飛び込んで来た放送にびっくりした。あのドイツの哲学者イマヌエル・カントが、日本の「鎖国」を評価していたというのであります。「なんだ、このラジオは、」と思いつつ電波が途切れ無いようにスピードを落としましたがビルの影で切れました。回復をした時はスペイン語が流れておりました。

NHK第二放送のドイツ語語学講座であろうと見当をつけ、直ちに近くに本屋さんを探しテキストを発見。

(以下転載、■はドイツ語特有の文字で、表示不可のため)

Zum ewigen Frieden (永遠平和のために)

Vergleicht man hiemit das inhospitale Betragen der ge-sitteten,Vornehmlich handeltreibenden Staaten unseres Weltteils、so geht die Ungerechtigkeit′die sie in dem  Besuche fremder L■nder und V■ker(welches ihnen mitdem Erobern dersetben f■r einerlei gilt)
beweisen、bis zum Erschrecken Weit.

→→→“永遠平和のために”  イマヌエル・カント

このような[訪問する権利をもとにして世界の人たちが互いに平和な関係を作っていく]様子と,私たちヨーロッパ地域の,礼節をわきまえた,とりわけ商業取引が盛んな諸国が示している,相手を冷たくあしらうような態度とを,比べてみよう。そうすれば,これらヨーロッパ人がよその土地や民族を「訪問」(ここで「訪問」というのは,ヨーロッパ人にとっては「征服」の言い換えにほかならない)するときに発揮する不公正さは,もはや恐ろしいまでの域に達している。

アメリカ大陸,黒人の国々,香辛料諸島,喜望峰などは,それらが発見されたとき,彼らヨーロッパ人にとっては誰のものでもない土地でしかなかった。というのも,彼らには住民たちの存在など眼中になかったからである。[…]

中国と日本がそれゆえ,これら客人たちを試してみた上で,中国は来訪者に対して来航は許しても入国は許さず,また日本は来航すらもヨーロッパの中のたった1つの民族,すなわちオランダ人だけにしか許さなかったのは賢明であった。しかも彼らはそれらヨーロッパ人たちを,まるで捕虜のように,住民たちとの交流から隔離したのである。→→→(終)
「哲学者が評価する日本の鎖国政策 1795年」
4月12日放送ーアンコールまいにちドイツ

■心を売り渡した男
菅元総理が「開国」と叫んで韓国北朝鮮中国米国等に媚を売り出したことに対する、懲罰のごとく襲った東日本福島大災害でした。

「開国」とは無条件降伏ではありません。その昔アメリカ大陸では、襲ってきたスペイン人を“神様”と勘違いしたために、民族自体が消滅するにいたりました。その様子は岩波文庫に収録されております。

■「武」を忘れた「文」
我が国も江戸末期、西洋の地球的植民地獲得競争に飲み込まれるところでした。幸いだったのは、国を統治する層が「文」と「武」の両方を兼ね備えていたことです。ですから「国防」意識も高く、彼我の実力の差を素早く認識し対応しました。元気の良い薩長が西洋諸国と交戦して実体を掌握したのも大きかったのでした。

「理財論」で有名な幕末の山田方谷も「文と武」の関係にも触れております。彼も田舎藩ではありますが、軍備の近代化を見逃しませんでした。現代と違い究極の「シビリアン・コントロール」でした。(因みに、シビリアン・コントロールは和製英語)

■「エルビスプレスリーの金縛り」
世界を席巻した経済の「新自由主義」ですが、あれは乗り込む先に、相手国内を「規制緩和」で最初に同士討ちにさせ弱体化させることが狙い。その後米国の巨大資本が乗り込んで“美味しい”ところだけ企業買収や資本支配で頂くというもの。

戦後GHQに仕掛けられた「歴史支配」のお陰で、判断の基準が狂っております。今は韓国がこの手法を真似て我が国に仕掛けて来ています。管理外交で国を守った祖先の知恵を忘れてはいけません。

しかし異常にハングル語講座が多いいなぁ。。。韓国語が嫌いな在日諸君の為か。。英語に比べれば利用価値も少ない。

*資料:時代劇が無くなり韓流ドラマが蔓延(はびこ)る現象
「NHK大河ドラマで我が国の平安時代を“薄汚く”、韓国の李朝を“きらびやかに”描く手法は警戒を要する現象でしょう。」(西川京子元自民党議員)
*西川京子、石原発言と国家意識[桜H24/4/27] より
http://youtu.be/aCvONJ61eyo

■ 国際派日本人の情報ファイル ■より転載します。

【指導者に見る顔と頭】         

痴(ばか)という文字は「やまいだれ」に欲という字を入れるなり、「やまいだれ」に感情の情という字を入れるならば、まことに合理的です。ところが頭のいいことを思わす知という字を入れてある。面白い。安岡正篤 「暁鐘」より

「日本語では馬鹿ということを『しれもの』と言います。知るということと、馬鹿フーリッシュという言葉が一緒になっている。案外、昔の人は、哲学したものとみえますね。非常に考えた話です。」(同上)

野田民主党政権はミャンマーの3000億円の債務を免除したそうです。最近覚えているだけでも韓国中国・ユーロ等に事実上の巨額援助を約束しました。国内では消費税増税にまっしぐら。違和感が伴いますね。可怪(おか)しいなぁ。。。

■夢遊病者
鳩山元首相は“個人的に”イランを訪問し阿呆な事を言って来ました。また今度は菅元首相が“個人的に”インドを訪問し印首相と会うようです。相手が金持ち日本なら利用価値もあるので会ってくれるでしょう。しかし、両元首相の“個人的腹いせ”で外交をやられたのでは溜まったものではない。日本民族の顔に「泥」を塗り歩いているよなものです。世界の人々は“あの日本”はどこに行ったのだろうと不思議がるに違いありません。

失礼ながら野田首相の顔は「浮腫(むく)んだ狸顔」であります。

■「私は嘘は申しません」美濃部東京都知事
民主党政権の特徴を思い出してみましょう。まず「バラ撒き」が好き。ともかく、国のお金を使い「媚を売る」ようなお金の使い方をする。その典型が例の「子ども手当」。更に「生活保護の申請」をドンドン認めよとの通達。受給者は200万人を超えました。

また補償が好き。第一弾は政権奪取直後に行った、旧国鉄で最後まで揉めていた国労系との和解。調停では一人500万円の和解金の提示だったのに、一声で一人2400万円になった。宮崎方面の牛の口蹄疫病発生では、早々と補償の話を持ち出し伝染病対策より“口封じ”を狙いました。

外国援助が好き。まずは韓国そして中国今度はユーロ、と巨額財政支援を碌な審議もなく表明。韓国には返さなくて良い物を無料で差し上げる。竹島も尖閣諸島も、外国がうるさく面倒なのでくれてやりそうな気配。

日本が嫌い。鳩山元総理の東アジア共同体・友愛の海構想。仲良くしてもらうためには日本のこと考えたくない「卑屈自信喪失症」。菅元総理の“最低不幸社会”は、我が国は悪い国だから最低生活で我慢せよとの「卑屈贖罪症」。野田首相は“金魚よりドジョウ”で、豊かに立派になることを拒否した「卑屈奴隷症」。

北朝鮮李朝型政治
ともかく「働く」ことが嫌いなような連中ばかり。また企業や経済活動を罪悪視しているような雰囲気もあります。東日本大震災も自衛隊は扱(こ)き使うが、経済活動を軸とした復旧は“儲けさす”のが嫌いだから放置。そして今年度予算案は史上最大規模だそうです。将に子孫にツケを回すサラ金地獄であります。

可笑しな“主義”や“信仰”に取り憑かれております。一言でいうならオーム真理教のような「空中浮揚政権」であります。地に足がついておりせん。 いずれ外国から戦争をふっかけられる哀れな国になります。立ち上がろう皆の衆!

*痴ー1)馬鹿 2)物事に夢中になる。(正しい字は「癡」ー旧字体)
 

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 時事通信

コメント(0)

「日本海」を「東海」と主張する韓国

2012/05/09 00:11

 

【新藤義孝メールマガジン】より転載します。
朝鮮民族による「ゆすり」「たかり」「パクリ」は我国の文化を捏造し、其れを自国のものと言い募る浅ましいものです。今度は「日本海」の呼称を「東海」に変えろと、米国議会に圧力を掛けています。

先日来朝鮮人の横暴に対して、我が国も反対署名活動を行うように御案内しています。我々にとって常識的な事実であっても欧米人には通用しません。況してや反対運動も無ければ「朝鮮人の謂う事が本当なのであろう」と認識されます。

世界的に嫌われている朝鮮民族であっても、民主主義ルールの上では取り上げざるを得ないのです。良識ある議員や団体がどんなに活動しても相手は国を挙げて捏造活動を続けます。

本来は政府が行うべき反対決議を、民間が自前で行う事実こそが日本の根深い病巣と謂えるでしょう。

■◇「日本海」は国際的に確立した呼称◇■― 韓国「東海」歴史主張には明白な誤りが! ―

◆ 「日本海」を「東海」と主張する韓国

「日本海(Japan Sea)」は、1929年(昭和4 年)から国際水路機関(IHO)によって国際的に定められた唯一の呼称です。
ところが、最近になって韓国が国際社会を巻き込んだ大プロパガンダ活動を行い、「日本海」を「東海」にするべきと主張しています。
米国バージニア州議会では今年の1 月26日、韓国人団体の陳情を受けた議員により、州の使用教科書に日本海/東海を併記することを求める条例案が提出され、わずか一票差で否決ということがありました。
3月22日からはバージニア州の韓国人団体がホワイトハウスに対し「米国教科書の東海表記訂正」の電子請願を提出し、署名が2 万5 千人を超えるた場合、米政府はこれに回答をするルールなのですが、署名者数は10万人に達しています。

◆ 韓国「東海」主張のポイント

韓国が「日本海」を「東海」に改めるべきとする主張は、? 2 千年前、キリスト生誕以前から「東海」呼称が使われてきた。?「日本海」呼称は日本の拡張主義、植民地支配の結果広められた。という二点に集約されます。

◆ 韓国主張には、明白な歴史的誤りが

ところが私が自民党・領土特命委員会でこの問題の第一人者である拓殖大学の下條正男国際学部教授から歴史根拠を確認したところ、韓国の「東海」主張には、明白な歴史的誤りがあることが判明しました。

◆ 2000年前の「東海」は渤海のこと

韓国は「東海のほとり」という文字が高句麗の建国(紀元前37年)を記述した『三国史記』(1145年成立)にあると主張しています。しかし、高句麗の建国の地は鴨緑江上中国の遼東半島の付け根であり、日本海と接していません。遼東半島は、渤海と黄海の間に突き出ており、ここでいう東海は中国から見た東の海=渤海のことです。

◆ 碑文の「東海」は墓守の居住地

次の根拠は、「広開土(コウカイド)王碑(414年)」に見える「東海賈(コ)」の三文字です。ところがこの意味は、王様の墓を維持するための墓守が居住する地域の名称であり、海の名前を記したものではありません。

◆ 500年前地図の「東海」は祠の位置

さらに、『新増東国輿地勝覧(1530年)』の「八道総図」に、「東海」の文字があることで、500年前から使用していた根拠としました。しかしその文字は陸地に記され、意味は東海の神様をまつった祠(ホコラ)の位置を示したものなのです。

『新増東国輿地勝覧』は、明代の『大明一統志』の編集方針を踏襲しており、そこでは外海を「東、大海に至る」と明記しています。韓国が東海を日本海全域に拡大しようとするのは、大西洋をアメリカの東海岸と改称すべきだ、と同じことになってしまいます。

◆ 愛国歌の「東海」は沿海のこと

1907年に作詞され1948年から韓国の国歌となった「愛国歌」では、「東海が乾き果て、白頭山がすり減るまで韓国は永遠」と謳われます。しかし、1915年に刊行された『韓国痛史』では、「韓国は亜細亜東南の突き出しに在る半島国なり。その境界は東、滄(ソウ)海に沿い、日本海をへだてて、西は黄海に臨んで中国に対す」と記されています。

韓国の沿海の外には日本海が拡がっていると認識されているのです。

◆ 19世紀初頭、欧米で「日本海」が確立

また、韓国は日本に併合されていた1929年、IHO総会で日本の拡張主義によって東海を日本海に奪われたのだと主張しています。でも、歴史事実は全く違います。「日本海」は欧米各国

が慣習的に使用していた呼称を国際機関が追認したものであり、日本政府が要請したものではありません。

18世紀までの欧米の地図では日本海の他、様々な名称が使用されていましたが、日本政府が行った古地図調査によって、19世紀初頭以降、日本海の名称が他を圧倒して使われるようになった事実が明らかになっています。

19世紀に作成された古地図におけるこの海域の名称の使用比率について、米議会図書館や、大英博物館及びケンブリッジ大学、フランス国立図書館や国立博物館などの調査では、いずれも「日本海」が85~95%、「朝鮮海」が3 ~15%、その他の呼称も少しありましたが、「東海」表記は0 %でした。

◆ 鎖国中の江戸時代、日本は関与せず

「日本海」の呼称は19世紀初頭までに欧米各国によって確立されたのです。この時期、日本は鎖国中の江戸時代であり、日本は国際社会と交わることすら
していないのです。

◆ 韓国の調査では3つの呼称を1つに

韓国も古地図調査を行っていますが、日本の調査と比較して厳密性にも網羅性にも欠けるものです。日本はフランス国立博物館で、1495枚の古地図を調査しましたが、韓国は同博物館で、約三分の一である515枚しか調査していません。

あきれたことに韓国側の調査では「東洋海(ORIENTAL SEA)」「朝鮮海( KOREA SEA)」を「東海(EAST SEA)」と同一にカウントし、その合計数と日本海が使われている地図の合計数とを比較しています。

朝鮮半島東側の海=東海を、どうすれば西洋から見た東洋の海=東洋海と同じに出来るのでしょう。

◆ 竹島が日本の海に在ってはいけない

これほど明白な誤りにも関わらず、韓国が臆面もなく国際社会に訴える動機は何なのでしょうか?それは竹島問題だといわれています。「韓国の島である竹島が日本の海に在ってはいけない」。そのため最近になって急に韓国は無理な主張を始めているのです。

◆ 資料を米国・IHO加盟国に送付

折しも4 月23日から27日まで5 年に一度のIHO総会がモナコで開催されます。韓国はこの誤った歴史認識を、恥じるどころか国際社会に大々的に訴え、日本海を東海に代え、併記すべきと提案しているのです。

私はこうした韓国主張の誤りと「日本海」呼称が確立した経緯を、広く国際社会に伝え主張する必要があると判断し、「日本海呼称問題に関する一考察(A Study of the NamingIssue of Japan Sea)」を作成することにしました。

資料は英文にしなければ各国に訴えられません。研究者やスタッフ等の徹夜の協力を得ながら、必死の作業で何とか作りました。4月19日、自民党本部で国内マスコミに記者会見し、米国大使館を訪ね米国公使に直接説明しました。

また、モナコのIHO事務局と加盟する76ヶ国の大使館宛に電子メールを送り、資料を郵送しました。 船舶の安全航行のために海の呼称を定めた国際ルールは、歴史事実、法と正義に基づいて確立されるべきです。国際的に確立された唯一の呼称「日本海」がねじ曲げられることのないよう活動を続けてまいります。

【緊急続報です~日本海「呼称問題」まだ終わらない 韓国、今度は「電子海図」で巻き返し狙う】

日本海の呼称を韓国が「東海(トンヘ)」に変更するように求めている問題は、国際水路機関(IHO)総会で韓国側の主張が退けられ、ひとまずは決着したかと思われた。ところが韓国は別の手段を講じてきそうだ。「東海」を単独表記した独自の「電子海図」を制作、各国に配布して自国の主張を声高に訴え続けるのだという。

地名の表記は電子海図もIHO基準に従う
 
日本海の代わりに「東海」と表記した電子海図の普及を目指す――。韓国・聯合ニュースは2012年4月30日、韓国政府の次の「戦略」をこう伝えた。

  IHO総会では、韓国が主張してきた日本海と「東海」の併記が認められず、IHOが刊行する標準海図集「大洋と海の境界」では引き続き、日本海の単独表記が決まった。2002年、07年の総会同様、今回も議論に決着がつかなかったのだ。そのため韓国側は「結論先送り」と受け止めており、日本海から「東海」への変更を訴え続ける立場を崩していない。

   次なる一手に選んだのが、電子海図のようだ。聯合ニュースの記事では韓国の国土海洋部が、国内の技術を集めて「東海」が表記された電子海図を開発、シェア拡大を急ぐとしている

韓国当局は、電子海図では制作の権利が沿岸国にあり、その国の地名がそのまま海図に表記されると理解している模様だ。

   日本水路協会のウェブサイトには、航海用電子海図(ENC)に関する説明があった。日本のENCは海上保安庁海洋情報部が刊行、外国の場合は「それぞれの政府や政府公認の機関」が制作しているという。制作にあたってはIHOが定める「S-57」と呼ばれるフォーマットがあり、日本のENCもこれに沿ってつくられている。

   ENCでは、制作側に表記上の裁量がどれほど認められるのか。海上保安庁海洋情報部に聞いてみると、地名の表記もIHOの決まりに従うとのことだ。つまり日本海は、韓国を含む他の国が電子海図を作成する場合も「日本海」とするのが原則となる。韓国国土海洋部がどの根拠に基づいて「電子海図では沿岸国の表記がそのまま使える」と考えているかは不明だが、日本側は電子海図も「大洋と海の境界」で使われるのと同じ基準に沿うべきとの理解だ。

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 時事通信

コメント(0)

【赤いご飯のヒミツ】【鏡は化我美。我をとったら神になる】

2012/05/08 08:10

 

本日は「ねずきちのひとりごと」より二件転載します。

小生は御赤飯が大好きな人間です。何故だかこのご飯を見ると母親を思い出すのです。實に不思議なのですが、遠い過去の出来事が記憶の奥底に留められているのでしょうね。其れは今世なのか過去世なのか判りません。

但しこの記事を見ると小生が普段から感じていた不思議な感覚とは、大和民族の根幹に記憶されたゐた天に対する感謝の念である、と改めて実感した次第です。

日本って本当に素晴らしい國ですね。この國に生まれた事を感謝します(在る方のお話に因れば、日本に誕生する事も魂の時代に決めているそうです。我々は此の世に肉体を借りて魂の世界から何度も生まれ変わるそうです。別に信じなくても良いですよ)

【赤いご飯のヒミツ】

皇居・生物学研究所脇の水田(宮内庁提供)

以下は、お世話になっている和源さんからいただいたお話です。巫女さんが教えてくれる日々の豆知識からなのだそうです。とっても良いお話です。
~~~~~~~~~
今回の豆知識は、『赤いご飯のヒミツ』です。
みなさんは『赤いご飯』と聞いて、何を思いうかべますか?
きっとほとんどの人が「お赤飯」と答えるでしょう。
しかしお赤飯には、その前があるのです。

古事記にもあるように、日本は昔『みずほの国』と呼ばれていました。
みずみずしくて、さわやかな国。
秋になると稲穂の垂れ下がる豊かな国という意味です。

では、どうしてここまで豊かな国になったのでしょうか?
昔、まだ日本が『みずほの国』と呼ばれていない頃、どこからか赤米という、赤いお米が伝えられました。
古代人はその赤米を何とかして日本に根付かせようと一生懸命働きました。
そのおかげで赤米が日本の風土に根付き、見事な『みずほの国』が誕生したのです。

ところが、生産力の高い白米が入ってくると、生産力の低い赤米は段々作られなくなってしまいました。
しかし、日本人は大変義理がたい。
日本にくまなく稲作文化を拡げてくれた、古代のご先祖さまへの感謝の気持ちを忘れなかったのです。

赤米を作られることが少なくなった今でも、お正月や秋祭りなどの行事がある日には、ちゃんとお赤飯を用意して、御先祖さまにお供えをしています。
赤米を食べることが少なくなった今、みなさんは赤米の代わりに、お赤飯を作って食べているわけです。

また、お赤飯をご先祖さまにお供えする時は、日本に稲作文化を拡げてくれたことへの感謝の気持ちを忘れないようにしましょう。

私たちは古代の御先祖さまのおかげで今の生活ができているのです。
【お赤飯のもとは赤米。その赤米とは、古代の御先祖さまが拡げてくれたお米の始まり。】

これが、『赤いご飯のヒミツ』です。
~~~~~~~~
とっても良いお話です。

赤米(あかまい)というのは、下の写真にあるように、玄米の皮が赤いお米で、稲穂も赤くなる稲から採れるお米です。

通常品種と赤米(手前が通常品種)

野生の稲の多くは赤米で、気候の変化や病害虫などに強い代わりに、私たちが普段食べる白米と比べて収穫量が少なく、糖度が低いので、あまり美味しくないらしいです。

記録としては、奈良県高市郡明日香村の飛鳥京跡から発見された木簡に、献上物として赤米、赤搗米、赤春米などの記載があり、6世紀頃には、まだ広く栽培されていたことが伺えます。

赤米そのものの栽培物の出土としては、佐賀県の吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)で、いまから3000年ほど前の大量の赤米の炭化物が見つかっています。

ですから、いまから3000年前から1500年前まで、日本各地で広く赤米の生産がされていたのは、間違いないようです。その後赤米は、より収穫高の多い白米に取って代わられますが、それでも何か祝い事があると赤飯を炊いてご先祖様に感謝する。その伝統は、現代社会となったいまでも残っているわけです。

そして赤飯を炊く理由が、ご先祖様への感謝の心にあるとは・・・。

とっても良いお話だとおもいました。やっぱり日本て、いいですね♪

■続けて「ねずきちのひとりごと」より転載します。
日本の素晴らしさを知る程に、現在の政治屋・財界人・文化人の浅ましさを疎ましく感じます。全くTVを見なくなった小生ですが、雑誌やネット上で話題に上がる人の顔を拝見すると、殆ど知性を感じることが出来ません。

最近では「可愛い」が流行らしいのですが、所謂中年女性や三十歳前後でさえも可愛い様相や化粧をしますね。「女のコ」と呼称する風潮が定着した感が在りますが、小生は此の言語を好きに為れません。

是は十八歳以下までの少女を指す言語であると認識するからです。所謂大人世代に為れば「コ」を付ける事自体が可笑しな事です。欧米では女性は年相応の美しさを身に着けるのが、女性の在るべき姿と謂われます。

中年にも為って「キティちゃん」グッズを着け、ぶりっ子ファッションに身を包むは滑稽であると思うのです(小生の個人的見解ですぞ)下記の美人画を見れば一目瞭然でしょう。

【鏡は化我美。我をとったら神になる】

ネットで素晴らしい記事を見つけたのでご紹介します。
~~~~~~~~
【政治家は国民の鏡(鑑・化我美) 】
http://kusanotakasi.iza.ne.jp/blog/entry/2562501/

神社には鏡=鑑、化我美がある。
なぜ鑑があるのか。
ご神体だから?
アマテラスが天孫、ニニギに「此は 我なり」と言ったからだろうか。

否、神道の根本的な考え方に、その理由があると思う。

神道というの懐が深くて、争わず、受容して、同化しつつ、はねのける、こういうことをやる宗教である。

アッラーやヤハウェ(みだりに名を呼んではいけないが。)の宗教のように神は神、人間は人間と区別しない。

それは神道で言う「神」は「人間」なのだから当然だ。

つまり、神社に鑑があるのは

「化我身=我をとりなさい」
「我をとったらカミ」であるオノレを見つめよ
「そもそも、『カミ』である自身を見つめなさい」

という神道の教えなのだ。

同じことが政治にも言えないだろうか。「政治家(他人)が悪い」とばかり言っているだけでは、何も生産できず得るものはなにもない。

言霊を大事にして、政治家を悪く言うのもやめよう。まして 一票を投じた人間じゃないか。

一票分の責任を自覚し義務を果たし、彼には意見を直接言い、自分を見つめ直そう。
~~~~~~~~
「鏡(カガミ)」は、「化我身」であり、我をとったら「神」であるという。なるほど、と思いました。

古来、日本では、我をなくすことが神の道に通じるとされた。たとえば、特攻隊員たちは、生きながら神とされた。なぜなら、彼らは我を捨てて国のための守護神となるのだから。

陛下には「私」がない。つまり「我」がないわけで、だから日本では、天皇は常に神であらせられた。

上の文章には、我を捨てて、オノレを見つめよとあります。それが神社に鏡が置いてある理由だとも。

先日のことです。ある若い者が上司に、「なに、たらたら仕事してんだっ!」と叱られていました。

場所は工場です。本人は、汗びっしょりかいて、一生懸命仕事をしていたのです。それを、「ちんたら仕事をしている」と叱られたわけです。

言われた方は、何を叱られているのかさっぱりわからない。「オレはこんなに一生懸命、汗を流して仕事してるじゃないか」というわけです。

なるほど、本人は一生懸命なのです。仕事ぶりも立派なものです。

けれど上司が叱ったのは、そのことじゃない。数名で作業するに際して、必要なことは、「最終的な生産性を如何に上げるか」なのです。ひとりが一生懸命汗を流していても、チーム全体の仕事の成果が非効率なら、それは仕事をしているうちにははいらない。

そのことは、「オレは、オレは」の「我」を捨てて考えてみればすぐにわかることなのです。チーム全体を率いて、効率的な仕事をしなければならないのに、そのチーム全体を見ないで、自分だけがあくせくと仕事をして、それでいてチーム全体の成果の足をひっぱっている。

けれど、「オレはこんなに一生懸命やっているのに」と考えるから、叱られた側には、そのことがわからない。

最近、そういうことがよく目につきます。テレビを見ても、政治の世界も、どこも「オレが、オレが」の大合唱です。

身を捨てて国家国民のために尽くすのが政治家のはずなのに、あるのは利権と自己主張だけ。

自分自身も、我を捨てることをもう一度あらためて胆に銘じようと思いました。

カテゴリ: 政治も  > 政局    フォルダ: 時事通信

コメント(0)